節目の年に想う
昨年の、10周年LIVEには、沢山のお客様にお越しいただきまして、有難うございました。
おかげさまで、私の夢を実現させることが出来ました、ご協力いただいた皆様方に感謝です。
街の珈琲屋さんも、4月21日で満11歳になります。
「10年一昔」と考えると、新たな始まりの年ということになり、もう一度10年前の4月21日、あの大雨の月曜日に来ていただいた沢山のお客様の顔を想い出し、「一歩進んだ原点回帰」を目指します。
節目と言えば、私たち夫婦も、先日結婚30周年を迎えました。
結婚30年は、富と健康をあらわす海の宝石に例えて「真珠婚」だそうです。
街の珈琲屋さんを始めて、沢山の人と知り合い、年とともに増えてゆく「ガタ」とうまく付き合いながら、仲良く、楽しく毎日を送っています。(笑)
そして今年6月18日は、1908年日本から781人が乗った笠戸丸がブラジル・サントス港に着き、その日から日本からの移住の歴史が刻まれました。ちょうど100年前のことです。
この日本からの移民の人達が、ブラジルのコーヒー生産に大きく寄与しました。
日本人の場合は、奴隷的な働き方ではなく請負制で、「おまえにはこれだけ任せる」と、荘園主がある面積を歩合制で任せたそうです。
日本人は前向きでまじめな性格だったため成果を挙げて、コーヒー園で成功して、コーヒー園主からも非常に喜ばれたようです。
しかし、コーヒーを植えても当時の技術では、4~5年たたないと花が咲かないし、実がならない。コーヒーと違い、大豆やトウモロコシ、ジャガイモなどは、春に種をまけば秋には収穫でき、1年でお金になります。ところがコーヒーの場合土地を買っても7~8年たたないと最初の収穫があがらなかったので、日本から移住した人達は苦労しました。移住者は毎月数百人ずつ、計30万人程度が渡りました。
「南国のパラダイス」として、大きな夢を持ってブラジルに渡られた日本人のご苦労は、言葉の問題はもちろんのこと、気候風土の違い、病気、そして戦争など、並たいていのものではなかったと想います。
サントス港に着いてから100年たった今、日本人の数は、約150万人。もうすでに6世が生まれているといいます。
日本から最も遠いと言われるブラジルから、祖国日本に想いをはせ、「日本人に喜んでもらえるコーヒー」を・・・ の想いで、カルロス、アルベルト、ススム、ルイス・・・など、コーヒー農園はもちろんのこと、コーヒーの組合、コーヒー鑑定士など、いろいろな分野で日系人か活躍しています。
上田正樹さん情報
6月14日(土曜日)
久留米市田主丸町「そよ風ホール」でLIVEが予定されています
開演時間や入場料などの詳細は、わかり次第ホームページ http://machino-coffeeyasan.com/「マスターの独り言」でご案内します
上田正樹プロデュース、2月デヴューの若きソウル・シンガー 「Yoshie N.」さんがゲストで出演されるかも・・・?
花粉症の季節に ハーブティーはいかがですか
花粉症でお悩みの方に朗報です
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花粉症の症状を抑えると言われているハーブティーをそろえています
開店11周年感謝祭 4月21日~27日
期間中、コーヒーお買い上げのお客様100名様に、コーヒーの苗木プレゼント
さらに、コーヒー豆20%OFFでご奉仕します